So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

役職ついたことない [日記]

今日、会社の slack で雑談してて不意に思い出したけど、僕は今まで役職が肩書についたことがない。

最初の会社は 8年9カ月ほどいた。
少し年次の上の人は、3年くらいで役職が付いたが、
僕が入った頃はバブルで人を取り過ぎたせいでポストが不足していたのもあり、
(その後のバブル崩壊もあり)
僕は、辞めるまで平阿社員のままだった。

8年を過ぎたあたりで、まあ昇進もしないし、ボーナスも大して出ないし
(バブル崩壊で、中小企業はどこの会社も大してボーナス出なかったが)
このままいてもしゃーないと思って「辞めます」 って言った。

それから僕が実際に辞めるまでに、専門学校卒の後輩が主任になった。
僕は「勝った」と思った。
その後輩は、僕が辞めると言い出す前から会社に不満を言っていて、
一時はかなり辞めそうだった。しかし、主任の肩書と7000円の手当と引き換えに
会社に残ることにしたらしい。
後輩は、親と同居で、その親も体悪くて、お金が必要で、
自分にも借金があったので、おいそれとは辞めることはできなかったようだ。

それより前の話になるが、配属された課の先輩も、数年間文句を言っていて、
辞める寸前だったようだが、主任になって辞めるのをやめた。
それを見ていた僕は、恥ずかしいことだと思ったし、少しその先輩を軽蔑した。
僕が辞めるといったときにも、部長は、やんわりと明確には言わないが
「主任にするからやめるな」
ということをにおわせていた。
いったん辞めると口にしたのに、7000円で撤回するのは自分に恥ずかしくてできなかった。

二人とも、金じゃないのはわかる。昇進がないと会社に認められてない気がする。
正直、辞めるのが決まっていたのに後輩が主任になったのは、ちょっと嫉妬した。
しかし、その時会社を辞めて、かすかなこだわりが解けたようで、
その後、巡り巡って再度会社員の立場になるときも、役職はまったく気にならなくなった。

ただ、今の会社は、主任とか課長とかいないので、若い人はそんな感情するら芽生えてないのでは。

ところで、ボーナスをもらっていたのはこの時期だけだったのだが、それから数年たった後で
かみさんに
「最初の会社にいた時、給料安かったよね」
って言われて
「そんな風に思われてたのか」
とショックだった。実際安かったんだが。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

終戦記念日 [日記]

第二次大戦は戦闘で死んだ日本兵よりも南方で飢えで死んだ日本兵のが多いらしい。
途中から作戦がばれて、ほとんど効果のなかった特攻で多くの若者を無駄死にさせ、国民には大本営発表で B29 に竹やりで対抗させ、最後は沖縄で民間人を盾に本土への侵略を引き延ばそうとした(結果は決まっているのに)

城山三郎さんや後藤田正晴さんは、士官経験者だったのに平和主義者だったのは、嫌なものをたくさん見てきたんだろうな。
終戦(敗戦)のとき、もっと悔しがったり、悲しがったりしてもよさそうなもんだが、実際には、皆ほっとしたり、せいせいしたりしてた。

東芝の幹部は、魅力的な商品もないのに「チャレンジ」と言ってごり押しし、みんなが苦し紛れに粉飾すると
「粉飾を命じたわけではない」
と言って、高額の退職金をもらって辞める。

東京オリンピックでマラソンが 7:00 スタートだとそれでも暑そうで、かといって契約で時間をずらせそうにない。
「そうだ、時計の針を2時間戻して 5:00 からスタートすればいいんじゃん?」
という思いつきで、サマータイムを検討して、みんなが文句を言うと
「SE の奴らが、やりたくないもんだから文句言ってる。根性が足らん」
みたいなことを言う。
国単位から、中小企業単位まで、やってること、変わってないなと思う。

終戦を迎えて喜んだ人たち、戦争が嫌じゃなくて、偉い人の保身のために無駄死にするのが嫌だったんだな、って思う今日この頃

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

51歳になった [日記]

51歳になって過去を振り返ってみると、この年まで仕事として普通にプログラミングできていることが驚きだ。

(じゃあ、どうなっている予定だったのか?というと、そんな未来のことは何も考えてなかったんだけど)

もう10年くらいは Python メインで仕事していて、あと10年くらいは Python が第一選択肢になる時代が続く気がしている。素晴らしいプログラミング言語○○が出現しても Python を超えるほどにライブラリーが充実するには少なくても10年はかかると思う。
パソコン少年のなれの果てとしては、次の新しいプログラミング言語でもプログラミングしてみたいが、職業プログラマーとしては安心している。

僕が社会人になった頃はずっとプログラマーっていうひとが周りに居なくて、プログラマーは社会的に下に見られていたが、最近は子供も大人もプログラミングブームで、イメージ上がってきたんじゃなかろうか。

若い人のために、さらには最近は息子のために、
「定年までプログラムを書く仕事でいいんだよ」
というところを見せていきたい。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Python なんでもあるな [日記]

Python のエコシステムが年々洗練されていって

pip install hogehoge

とすると、なんでもインストールできるようになった(誇張)

pypi.org にアップロードされているパッケージが増えただけでなく pip とか wheel さらには manylinux の仕様や実装が完成して、C 拡張を含むパッケージも多くが(コンパイラなくても)簡単にインストールできるようになってしまった。

DjangoCongress JP 2018 の arai さんのトークが

- Django という Web フレームワークの
- Django Rest Framework というアドオンで
- 使える便利パッケージ

の紹介だった。
一番思ったのは
「業務ドメインに特化しない共通で使えそうな機能のライブラリならなんでもあるな」
ということ。

これが、Web アプリケーションの分野だけでなく、本来苦手でありそうな、数値計算が図形描画にまで広がっているんだから恐ろしい。

プログラミング言語(とそのライブラリ)は、流行が過ぎると別のプログラミング言語が流行るという歴史を繰り返して来たけど、Python の次ってあるのかな?というくらいになんでもある。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

オウム真理教一区切り [日記]

先日執行された 7 人に続いて、残りの 6 人の死刑が執行された。
結局、今月 13人全員の死刑が執行された

関連する裁判が全て終わって半年をめどに刑を執行するという
運用の目安があるそうだが、今回は、その原則にのっていてよかった。

みんな死刑執行なんかしたくないわけで、
さらに「死んでよみがえった」なんて言い出す奴のことを心配したら・・・
正直、このまま寿命まで執行されないと思っていた。

今回、全員の死刑が執行されて、もうどんな超法規的な措置でも
シャバに戻ることがない、と思うと、自分でも予想してなかったが
「なにか大きな一区切りが着いたなぁ」
という思いだ。

上川法務大臣は、とりあえず前半の7人の執行にサインして、
残りの6人は次の法務大臣にゆだねるということもできたはずだが、そうしなかった。
今後、場合によっては一生警護が着くかもしれないそうである。
「覚悟を持って自分で終わりにする」
と腹をくくった大臣は立派だったと思う。

たまに
「私は死刑反対論者なので法務大臣の間には死刑執行にサインしませんでいた」
なんていう法務大臣がいて、とんだ職務怠慢だと思う。
死刑反対論者であれば法務大臣になるべきではない。

殺された坂本弁護士は死刑反対論者だったらしい。
今回の死刑に反対できるのは坂本さんだけじゃなかろうか。

坂本さんは今回の死刑執行を非人道的と思うだろうか?
そして、麻原が改心することがあると思っただろうか?

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

工数をパズルのように埋め、おおざっぱに管理する [日記]

最初に入った受託開発をメインにした会社は工数管理がしっかりしていた。
案件に工番(こうばん)または製造番号(せいぞうばんごう)、製番(せいばん)と呼ばれる番号が割り振られて15分単位で時間をつけていた。
日立グループで作番(さくばん)と呼んでいるものとだいたい同じらしい。

僕のような若手は相互に差しさわりがあるということか、複数の案件に割り当てられることはなかった。
つまり、1人月の案件が 4/1 に始まると、4/30までは、日報にはその工番をつけて、それ以降はつけちゃいけないことになる。
そしてその工番で予実管理をした。
工数が予定より多くなってら怒られるんだが、少なくてもいやな顔をされた(見積もりの精度が悪いんじゃないかといわれた)

日報には、工番と合わせて、今やっている作業が「設計」「プログラム作成」「テスト」(さらに細かく分かれていた)の何をやっているかも書かないといけなかった。
おおざっぱに 1/3 づつくらいの工数にわかれてないと「おかしい」と言われるので
「んー、今やっている作業はなにかなー。設計にもプログラム作成にも見えるけど、今の工数の消費具合からいうと、プログラム作成につけておこうかなー」
とかやっていた。ほかの人がどうしていたか知らない。

途中、客先の仕様確認とかレビュー結果をもらうとか、結果待ちに時間が空いてしまうときがある。
ミーティングの日程だってこちらの都合だけで決められるわけではないので、ミーティングまでに時間が空いてしまう。
「んー、じゃあドキュメント整理の製番でもつけておくかなー」
と、そのときさほど必要でもないドキュメントを書いてたりしてた。

あの日報をつける時間は馬鹿にならなかったし、それを集計する課長の時間も馬鹿にならなかった。
日報を転記して週に一回の課長会議みたいなのをしてたようだったが、そのための資料作るの大変だったろうな。
課長は、売り上げに結びつかなくても許される伝家の宝刀「営業製番」99998 を付けられたが、僕は、めったなことではその製番を付けることはできなかった。
社内には、社内インフラを整備する工数が割り振られていた人もいたが、そういうのは売上が結びつかなくても怒られなかった。
一方で我々一般の兵隊は売り上げに結びつかない工番はつけられなかった。
僕が、社内インフラ整備とか書籍の執筆とかを仕事ですることに、いまだに抵抗があるのは、この頃の「売上に結びつかない仕事はしちゃだめ」と思っていたのを引きづっているのだと思う。三つ子の魂百まで。

いろいろ理由で、苦しかったし予定が遅れることはあっても早まることはなかった。
今思えば、予実があってないと怒られるのは、サービス残業の発生する温床だったんじゃなかろうか。
ここまでで読んでる人は気づいたと思うけど、実績としてつけていた工数はかなり予定に合わせていて真の実績とは離れていたと思う。
あの実績で振り返っていては全然現実が見えてないな。

僕は、その会社を辞めるまではソフトウェア業界って、みんなこんなふうに工数管理しているものと思っていた。
転職してみると、15分単位に日報をつけるのは例外的だと知った。

今は、臨機応変に、それこそパズルのピースを埋めるように時間の空いた人を埋めている。
それは、最初の会社では、もっとも忌み嫌われていた仕事のやり方だ。
(計画しても現実は計画通りに進まないという現実は無視して)
ころころ案件が変わるのは計画ができてないせいだし、案件が頻繁に変わるのはキャッチアップするのが大変だから。
今はお金については社長の「費用対効果」のひとことで解決だしプログラミング言語や仕事のやり方が同じになるように努力しているので、
案件が変わっても、キャッチアップは割とするできる。

会社が大きくなれば、もっとちゃんとした工数管理をしないといけないんだろう。
今のように、みんな仲良く性善説というわけにはいかないだろう。
最初の会社の詳細な工数管理自体は悪いことじゃなくて実態が悪かったのかもしれない。

どれがよくて正解っていうのはないけど、常識っていうのは会社によって違うから、みんなできるうちに一回は転職したほうがいいと思う。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

できることと簡単にできることと janome [日記]

随分前に参加した、Python のもくもく会で 、自然言語処理の研究をしていて、レコメンドエンジンのプロトタイプは Excel のマクロでできていて、それを Python で実装したいんだけど、という人が来ていた。
mecab-python がインストールできなくて苦しんでいた・・・というか、僕がインストールしてあげようとして挫折してしまった。

今現在の、Ubuntu なら apt と pip でインストールできるっぽいが・・・
https://qiita.com/dwarfer7634/items/551886e8d817321abbd5
sudo apt-get install mecab libmecab-dev mecab-ipadic mecab-ipadic-utf8
pip install mecab-python3

言い訳すると、そのときは、Windows がメインで、今日のためにVirtualBox に CentOS6 をインストールしてきましたという状態で、
root 以外のアカウントは登録されてなくて Windows から ssh でログインできるようにもなってなかった。
Ubuntu だと比較的簡単にインストールできるようになったが、やはり windows で python-mecab は鬼門らしい。

この時、挫折してしまったのが申し訳ないのと同時に、
「自然言語処理の研究をしていて、MeCab のインストールに苦しんでいる人いっぱいいるんだろうなぁ。もったいないなぁ」
と思った。

そんなことがあった直後に、pure python の形態素解析器 janome が公開されたので興味を持った

- http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2015-04-11
- http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2015-04-18
- http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2015-04-27

最初 python3.4 でしか動作しなかったものを python2.7 でも動くようにして、その後、多少高速化もした。
ここ↓を見ると、まだ mecab -Owakati の 300倍くらい遅いみたい
https://umiushizn.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html
だけど、最近 janome は使われているようで、できることと簡単にできることは大きく違うし、簡単にできることは、それだけで価値のあることだな、と思う今日この頃。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

まじめに働いたら普通に暮らせる世の中になって欲しい [日記]

随分前の記事なんだけど、ずっと気になっている、↓この記事について考えていること。
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/gakureki-bundan?utm_term=.iwZ0wxPNp#.bqBYbz7jK

三世代同居で高校卒業まで一緒に暮らした祖父は、明治34年(1901年に)農家の三男に生まれ、尋常高等小学校を出た。
若い頃は肉体労働で稼ぎ最後は雑木林を開墾して農家になった人だ。
昔話に出てくる良いお爺さんの典型のような働きもので、僕が物心ついた時には 70歳は超えて息子に代を譲っていたが、よく働いていた覚えがある。
102歳で亡くなる年まで、杖をついて庭に出て、芝生に座り込んで手の届く範囲で草を取ったり春先にやってくるツバメの巣に猫が来ないように軒下においた椅子に腰かけて番をしていた。

父は昭和15年(1940年)生まれ。ちょうど姉3人妹3人の真ん中の男一人で、生まれた時から跡継ぎと言われ、小学校の頃から親の手伝いで開墾をして、農業高校を卒業した時点では祖父も高齢だったので、すぐに大黒柱として働いたようだ。

僕の尊敬する先祖2人だが、考えてみると、今のご時世、僕の先祖のように、学がなくても、まじめに一生懸命働いたら財を成すことができる・・・とまでは言わなくても慎ましやかに、普通に結婚して子供を生んで育てるってことが、とても難しくなっている気がする。

結局、僕の息子(現在大学1年生で、もうすぐ2年のはず)の中学の同級生の中で僕が知っている子で高卒で就職した子はいなかった。
高卒で建築関係の、親の知り合いのところに修行に行くと言っていた子は、ワーキングホリデーで海外にいる。高卒で就職して社会に出ることに不安があったのかな、と僕は思っている。勉強は嫌いだったみたいだけど、人当たりが良くて、世話好きで、たまに家に電話してきたときも、非常に礼儀正しかった。今のワーキングホリデーの経験が将来につながるといいんだけど。
専門学校に進んだ子は、あと一年で卒業なんだけれども、就職できるのか、自立できるのか、結婚できるのか心配しているようだ。(心配しつつも、息子とモンハンやってるのだが)専門学校卒が学歴的には高卒ということを、とても気にしている。

自分や自分の子供が大学出て安定した暮らしができればよいというものではない。
大学に行かない子、行けない子が社会の不安要素になるというのは、子供たちが暮らす次の世代の大問題になるだろうし、
「農家の長男として農業高校に進学しろ。大学に行くなんてとんでもない。」
と言われたら従っていたであろう、(そして、その場合の自分の子供は大学なんて行ってなかったであろう)平行世界の自分の問題でもある。

公共住宅政策でも、最低賃金政策でも、医療保険の拡充でも、自分の負担が上がってもいいんで、(勉強が嫌いでも)まじめに働いたら普通に暮らせる世の中になって欲しいと祈っている。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ソフトウェア開発のストレス [日記]

会社でメンタルヘルス研修というのがあって、普段、どんなことがストレッサーになっているか各自で考えるという課題が出た。

工数を見積もりして、その工数をもとに線表を引いて「〇月×日にできあがる」というスケジュールが出来上がり、いざ開発を開始するという最初期の
「これ、本当に期限通りに終わるの?」
というプレッシャーは、何年やっていてもストレスだなぁ、と思う。

項目ごとの工数を見直してみても、それほど無理な話じゃない。むしろ多少余裕もあるつもりだ。
それでも、過去の炎上プロジェクトを思い出して、想定外のあんなことやこんなことが起こったらどうしよう・・・と思わずにはいられない。
多くの場合は、それは杞憂に終わるし、心配したところで何も変わらないので、そんな心配してもしょうがない。
・・・ということはわかっていても、スタートダッシュで、完成の目途をつけて、それが予定のスケジュールより早めに進行しているところまで来ないと安心できない。
周りからは飄々としているように見えるかもしれないが、自分では結構焦っていて、受託開発の仕事向いてないのかな、と思う。

若い頃の、自らの責任でスケジュールを立て(とはいっても、赤字になるような長いスケジュールは許されない)自らの責任で完成させる・・・
つまり、課長は仕事を持ってきて担当者に丸投げのような体制の会社で、(考えてみれば、工期の短い見積もりをお客さんに出して、できないのは担当者のせいってことにしたら、課長は楽だよな)予定よりも早く終わっても評価されず、遅く終わったら怒られるという環境でのトラウマなのかもしれないし、もともと心配性なのかもしれないけど、この性格は直りそうにない。

この時に書いた http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2012-12-01 アラキさんは最後いつもデスマだったけど、プロジェクトの最初のほうは、希望に満ちあふれ、定時に帰っていた。
「設計がまだ終わってないなぁ・・・ま、今日は帰るか」
と言っていた設計が、当初の想定と違ってやり直しになってたりして、僕は
(最初の頃のあの余裕は何だったんだろう)
と思っていたが、一方で僕はアラキさんの楽観的な性格がうらやましかった。

受託開発じゃなく、自社サービスとか事業会社の内製業務アプリなら、計画はあるにしてももっと気楽にできるんじゃないかっていう気もするけど、僕は弱い人間なんで、スケジュールに対するプレッシャーがないといい仕事ができないんじゃないかという心配もある。

要するに僕は心配性なのだった。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Honda Jet と MRJ [日記]

Honda Jet と MRJ は、サイズは違うけれども国産航空機ということで、気になっていた。

Honda Jet は、計画が始まった時
「日本のメーカーが飛行機作れたら嬉しいけど、自動車メーカーが航空機なんて作れるの?」
と思った。
庶民の僕にとって、小型のビジネスジェットっていうのが売れそうな気がしなかったのもあって、ビジネスとしてうまくいかないんじゃないかという気がしていた。
ところが、最近では、同じカテゴリの航空機では世界で一番売れているらしい。
ホンダさん、ほんとうにごめんなさい。

かたや、 MRJ は
「三菱重工はゼロ戦も作ってたし、中型機がこれからの売れ筋らしいから、Honda Jet より大分成功しそうだな」
と思っていた。

MRJ は、何回かの設計変更による延期がなされたあとで、ようやくアメリカで認可を受けるためにアメリカに飛ぶ・・・
というところまできたと思ったら、
「これは、再設計が必要だ~」
ということになって僕はビビった。ソフトウェア開発じゃない世界でも、「ほぼ完成した」と思ったら「設計からやりなおし」とかあるのか。

https://jp.reuters.com/article/mrj-2020-idJPKBN1570M6
https://ktau-ktsc.blogspot.com/2017/01/mrj.html

信じてた僕もわかってなかったけど、三菱重工の人たちも( SIer のように)自分たちで作ってなくて外注丸投げなのかな?

今僕は、ものすごく「完成しない予感」がしているが、MRJ の人には緊張感ないらしい
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180124-00000003-awire-bus_all
> 「社外からMRJに対して厳しい指摘を受けても、どうしてわれわれが一生懸命やっているのに、応援してくれないのか、という受け取り方をしがち。現状を正しく認識できていない」
おまえは、頑張ってる小学生か。

そろそろ、注文にキャンセルが出て資金的な行き詰まりが目に見えてきそうなんで、そっから先に注目している。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感